中野区教育振興会の沿革

戦後間もなく、区民が立ち上げたボランテイア団体

中野区教育振興会は、中野区の教育の振興とその普及向上を図ることは区民の生活文化を向上発展させる基礎であるとの考えから、その目的達成のために区民の有志によって昭和23年に創設された、都内で唯一のボランテイア団体です。

戦後の混乱期、児童・生徒の教科書や教師の参考図書さえも中々手に入らず、将来の日本の子供の教育、中野の子供の教育に危機を感じて、中野を愛する企業家、学校関係者、議員や有識者など、多くの区民が立ちあがりました。

当時の荒廃した教育施設の復興や教育復興のために、昭和22年頃から教育振興会の設立の急務が叫ばれ、昭和23年、宝仙学園の講堂で設立総会が開かれました。参加者は、PTA役員、教育関係者、教職員、熱意ある区民有志など、講堂にあふれんばかりの盛況でした。(それ以前は、大日本教育会東京都支部中野分会として活躍していました。)

そして、教育振興に対する熱意と誠意が大きく認められて、中野区教育振興会の設立が決定し、任意団体としてスタートしました。

初代会長には宝仙学園中・高等学校長が就任され、その後、株式会社鷺宮製作所社長、株式会社丸井社長など区内の有識者によって代々引き継がれてきました。

日本経済の発展と共に足腰の強い財団法人に改組

昭和30年代後半になって、日本経済の発展に伴い国や地方自治体の財政が豊かになるにつれ、PTA会費負担の軽減論が活発となり、公教育に対する私費制限の世論が高まり始めました。

こうした社会情勢の変化によって、教育振興会の在り方を見直す意見が活発になり、その結果、「区民全般に呼びかけ、本会の趣旨に賛同する区民有志の方々に出資して頂き、財団法人に改組してはどうか」との意見が起こりました。そして、昭和41年8月に旧中野区教育振興会は解散し、新しく財団法人東京都中野区教育振興会が発足しました。(当時の寄付による基本財産は215万円でした。)

以来、財団法人として事業活動を順調に運営・発展を続けることができましたことは、多くの中野区民のご理解とご支援の賜物と感謝しています。

しかしながら、最近の諸情勢の推移を見ると、教育事業の拡充発展は益々重要なものとなって参りましたが、一方当振興会を支える維持会員(個人会員)も高齢化の進展に伴って年々減少傾向となっています。

このような社会情勢の変化に対応し、中野区の教育の振興・普及活動を今後とも継続して発展させるためには、より多くの区民の方々に維持会員(個人・法人・団体)としてご参加いただき、手を携えて区内の児童・生徒の更なる教育の充実・拡大を図って参らなければならないと考えています。

平成25年4月1日「公益財団法人中野区教育振興会」に移行

平成25年度から公益財団法人に移行いたしました。